Hiroshiコーチインタビュー Vol.1:東京 六本木のキックボクシング・ボクシング・総合格闘技ジム【ヨハンボス・スポーツスクール(ボスジムジャパン)】

Hiroshiコーチインタビュー

Hiroshi (ボス ジム ジャパン ヘッドコーチ)

10代で兄のTsuyoshiコーチと共にオランダへ渡り、世界の名門ボス ジムでトレーニングを受けたHiroshiコーチにお話を伺いました!
幼い頃の思い出や、オランダでの厳しいトレーニングなど、笑いと感動のインタビューです。
お楽しみ下さい!

Vol. 1 格闘技を始めたきっかけ

Hiroshiコーチ

今日は、お忙しいところありがとうございます!
では早速ですが、Hiroshi少年が格闘技に興味を持ったきっかけからお伺いしたいと思います。
子供の頃から格闘技が好きでしたか?

はい、父親がボクシングや野球、プロレスが好きでよく親子でプロレスをしていました。
3兄弟で、私は真ん中です。

父親と昭和のプロレスのような地味なレスリングをやっていました。
兄とは全日本プロレス全盛で四天王プロレスを、いつもやられていましたね。
小学生時代の三歳はとても大きく、私ができる技といえばキャメルクラッチやドロップキックといった地味な技でした。

しかも兄はとても大きかったので、軽々私を持ち上げ叩きつける大技ばかり。
思い出は布団を何枚も重ね、そこに大技を掛けられるのですが、パワーボムで叩きつけられた際、頭から落とされ薄れゆく意識の中、畳みが抜けたのが思い出です。
その後帰って来た母に、凄く叱られましたね。
若手レスラーのようでした。

Hiroshiコーチ

その代わり弟には毎日、派手な大技を決めることができました。
その為か弟は、プロレスをやりたがらなくなりました。

畳が抜けてしまうなんて、一軒家プロレスのようですね。
それにしても、弟さんの判断は賢明だと思います。(笑)
そんな日々の中、憧れた選手はいましたか?

三沢光晴選手に憧れました。
プロレスラーは三沢選手が一番凄かったと思います。

もちろん打撃が強いのはK-1ですが、三沢選手のエルボーも腰が入っていて体重の乗ったいいエルボーだと思います。
あれを受けるんですから大変ですよ。
解説が「はっきり言って反則です」と言っていたのが印象的でした。
私の中の超人です。

格闘家ではやはり、ホースト先生(アーネスト・ホースト)ですね。
とにかく他の選手より細くて軽いのに、もの凄い技術とスピリットで大きな選手を倒す。
衝撃でした。
全盛期には身体も大きくしフィジカルまで最高峰にした完全無欠のチャンピオンです。

なるほど・・・原点はプロレス。
そして、K1や後にトレーニングを共にするアーネスト・ホースト選手に、興味を持って行ったわけですね。
ところで男兄弟だと、プロレスごっこには飽き足らず、実際に殴り合いのけんかもあったのでは?

オランダに行ってからも大きなケンカをしました。
これも非常に良い思い出となっています。

当時二人ともK-1に出場し、伸び盛りの選手でした。
その当時、先生の家の隣に住んでいましたが誰も止める人間はおらず大ゲンカとなりました。
一発殴られ目尻をカットさせられたので、前蹴りを入れ両者睨みあいになりました。
そうあれです、『野生動物は力が拮抗していると戦わない』それと同じです。

一週間後にK-1の大会もありましたし、二人とも考えたのでしょうね。
普段の日本なら誰かが止めたでしょうがオランダですから止める人間はいません。
一発やられて一発かえす。(やられっぱなしではないということは気持ちが良いものでした)
「大会前だぞ」と思う気持ちで身体は熱く燃えていました。

その夜先生と晩御飯を食べる際、無口な兄と私の傷を見て先生にケンカを知られてしまいました。
しかし先生は、ケンカをしたことを一切咎めはしませんでした。
それは良かったのですが、私はその場で先生に「お兄さんをリスペクトしなさい」と叱られました。
腐り出て行き部屋に戻った私ですが、余りの腹立たしさにいても立ってもいられなくなり部屋を飛び出し庭の牧場へと向かい羊を見ることにしました。闇夜で星が光っていました。

ファイティングポーズをとるTsuyoshiとHiroshi

そこにヨハン先生がやってきたので私は言いました。「あいつのミットはもう持てません。」

するとヨハン先生は「私も兄がいるからヒロシの気持ちがよくわかる。私もいつか殺ってやろうと思い、格闘技を始めた。
そして二十歳の頃に兄を半殺しにすることができた。しかしそれは意味のないことだった。
今は兄が、一番仲のいい兄弟だ。
だからヒロシ、明日ミットを持ちなさい。大ゲンカをした後にもしミットを持てたら...、それはツヨシは驚くだろう。
ヒロシ、お前にはそれができる。私はお前の父親だ」と、強く抱きしめられました。

できると言われた私は、やらない訳にはいきません。

次の日、兄のミットを持って練習に励みました。
先生は兄のプライドを守り、私の心まで掴んだ。
先生は私達の性格がよくわかっていました。先生の深さを知ったできごとでした。

プロレスごっこから、いきなり感動的な話になってしまいました・・・(うるっ)
それにしてもヨハン先生は、素晴らしい方ですね。
若い弟子にまさに「心・技・体」を授けられたわけですね。

オランダでのお話はこの後ゆっくりお伺いするとして、その前にオランダへ行くまでのことをもう少し。
実際に格闘技を始めたのはいつですか?

兄弟がいたので、もの心ついた時には闘うことは日常でした。
しかし少年時代は父親の影響で原辰徳選手(当時)が好きな野球少年でした。
父親は格闘技以外にも野球や読書が好きだった様です。
自然と私も同じものを好きになりました。

格闘技を本格的に始めたのは13歳です。
その当時K-1が始まり、こんなドラゴンボールのような世界が実際に行われるのかとワクワクしました。
その為、実践的な顔面有りの空手を習いました。

なるほど。危険な環境、いや男同士の兄弟と言う環境が、自然と格闘技の世界への入り口を作ったのですね。
マンガのドラゴンボールとK1を合わせて考えるところも、現代っ子らしいですね。

ところで、いつ頃、どんなきっかけでプロを目指そうと思ったのでしょう?

Hiroshiコーチ

13歳です。兄とケンカした時に負けない為です。
兄はその頃ボクシングをしており学生チャンピオンへの階段を昇っていました。
その為、ボクサーには蹴りだと閃きK-1をやろうと思いました。
非常に自然な流れです。

またお兄さんとのけんかですか(苦笑)
そして、ボクシングをやっていたお兄さんの上手を行くようにK1を目指すところは、13歳にしてはなかなか知恵が働きますね。(笑)

ところで、どんな風に格闘技を始めたのでしょう?

最初は日本のジムに通いました。
しかし、当時も今もオランダの選手はとても強く(アーネスト・ホースト先生、ピーター・アーツ等)なぜあんなに強いのだろう?知りたい、学びたいと強く思いました。

例えば、野球もそうですよね、プロ野球を視野に入れている学生なら、よりレベルの高い学校で揉まれたほうが自分の能力を上げられる。
いかに素晴らしいコーチに出会えるか、それが大切だと。当時そう思いました。

ですから世界で一番強い選手を育てたトレーナーがいるボス ジムを選びました。
K-1ファイターになれる可能性が高いだろうと。

10代でそこまで考えられるとは、なかなか賢いお子さんだったようですね。
でも、「行きたい!」と言って簡単にオランダまで行けるものではないと思うのですが。

ヨハン先生が日本人を育ててみたいと格闘技雑誌で語っていたのでこれは自分達のことだとすぐにオランダ大使館に連絡しました。
たまたまその時、電話に出て下さった大使館員の方がヨハン先生の知り合いで、紹介して頂ける経緯となりました。
本当にラッキーです。

ものすごい行動力と運ですね。驚きです。
Vol. 2では、その運命の出会いについて詳しくお聞きしたいと思います。

Vol.2 ヨハン・ボス氏との出会い >>

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